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一筆啓上碑平成13年(2001)1月21日、一筆啓上碑が六ツ美西部学区市民ホーム(岡崎市)に建立され、「一筆啓上・作左の会」総会に先立ち、除幕式が行われました。 除幕式
一筆啓上碑
説明板(碑の右側) 「一筆啓上の本多作左衛門 本多作左衛門重次は、享禄二(1529)年 現在の宮地町に生まれ、徳川家康の祖父、父そして家康と三代に仕えた武将で、三河三奉行の1人、特に、短気で頑固な性格のため「鬼作左」といわれていました。 作左衛門が、戦場から妻に宛てた日本一短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は有名であります。(お仙とは、長男の仙千代で、のちの福井藩越前丸岡城主となった本多成重) 晩年は、領地替えにより現在の茨城県取手市で過ごし、六十八才の生涯を終えています。 頑固な反面、家族を愛し、相手の立場を考え、思いやりのある武将であったと言われています。 平成十三年一月二十一日 一筆啓上・作左の会」
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