一筆啓上・作左の会   会の概要

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一筆啓上碑

平成13年(2001)1月21日、一筆啓上碑が六ツ美西部学区市民ホーム(岡崎市)に建立され、「一筆啓上・作左の会」総会に先立ち、除幕式が行われました。

コラム2 一筆啓上碑の建立(PDF/266KB)

除幕式

次の方々により除幕が行われました。

(左から敬称略.。役職は当時)
六ツ美西部小学校長:渡辺勝英
市議会議員:柵木 誠
県会議員:青山秋男
作左の会会長:石川保夫
総代会長:安杖吉明
名誉会長夫人(碑文書者):本多英子

一筆啓上碑

碑文

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」


裏面

「この碑文は 宮地で生まれた本多作左衛門重次が戦場から妻に宛てた日本一短い手紙です
一筆啓上・作左の会
平成十三年一月二十一日建立
本多英子書


説明板(碑の右側)

「一筆啓上の本多作左衛門
 本多作左衛門重次は、享禄二(1529)年 現在の宮地町に生まれ、徳川家康の祖父、父そして家康と三代に仕えた武将で、三河三奉行の1人、特に、短気で頑固な性格のため「鬼作左」といわれていました。
 作左衛門が、戦場から妻に宛てた日本一短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は有名であります。(お仙とは、長男の仙千代で、のちの福井藩越前丸岡城主となった本多成重)
 晩年は、領地替えにより現在の茨城県取手市で過ごし、六十八才の生涯を終えています。
 頑固な反面、家族を愛し、相手の立場を考え、思いやりのある武将であったと言われています。
平成十三年一月二十一日
 一筆啓上・作左の会


岡崎ホームニュース(平成13年2月10日版)

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